「犯罪症候群」原作小説との違いをネタバレ!武藤の妹はなぜ殺された?鏑木と矢吹響子は好き同士だったのか?

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土ドラで放送中の「犯罪症候群」シリーズの原作小説を読みました!

ドラマを見ていて気になったのが、武藤の妹はなぜ少年に殺されたのか?

鏑木(谷原章介)と矢吹響子(木村多江)は好き同士だったのか?などが気になったので、原作とドラマの違いをまとめていきたいと思います。

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原作小説「症候群」シリーズ

原作の小説は3部作となっています。

 

  • 失踪症候群(ドラマのSeason1の中盤の戸籍交換の話)

ドラマ→武藤(玉山鉄二)が主役。

小説→環の部下の原田が捜査を担当。

  • 誘拐症候群(ドラマのSeason1の前半のジーニアスの話と、最終回へと続く子供の誘拐の話)

ドラマ→武藤(玉山鉄二)が主役。

小説→ジーニアスの話は、娘を誘拐された父親(ドラマで言う甲本雅裕)がほとんど自分で解決。

子供の誘拐は、ドラマと同様武藤が身代金を運ぶ役目に指名される。

  • 殺人症候群(Season2全部)

ドラマ→鏑木(谷原章介)が主役。

小説→原田と武藤が捜査を担当。環の部下の倉持は単独行動。鏑木はドラマ同様看護師・小島和子(ドラマで言う手塚理美)の事件を追う。

 

ドラマでも戸籍交換の話が一番印象薄かったんだけど、小説も1作目が一番いまいちだった。

それで2作目以降に進まなくなっちゃう人が多いと思うけど、もったいない!

2作目はけっこうおもしろいし、3作目はほんと傑作!!

めちゃくちゃ重いテーマだし、いろんな登場人物に感情移入できる。

すっごくエグい描写も多いけど、そしてその先どうなるのかが気になってどんどん読んじゃう。

最後、救いはないけど…。

 

武藤の妹はなぜ殺されたのか?

まず1番驚くべき事は、ドラマの軸となっている武藤(玉山鉄二)の妹であり、先輩刑事の鏑木(谷原章介)の恋人だったさゆりが未成年に殺されたと言う事件。

ドラマでは、武藤と鏑木とさゆりの3人でレストランで夕飯を食べた後、2人は仕事に戻りさゆりだけ1人で帰ったが、連絡を受け武藤と鏑木が現場に駆けつけたときには、さゆりは未成年に殺された後だった。

 

と言う描写。
顔に殴られたようなアザはあったけど、特別事件について詳しくは説明はなかった。
未成年が若い女性を襲ったのだから、レイプ目的?と思うのが普通だけど、特別服も乱れていなかったし、ただその未成年が通り魔的に弱いものに暴力衝動がある少年だったとか言う説明もない。

 

なんとなくこの事件の概要が気になって小説を読んでみたのだが、驚くことに

 

原作にさゆりは登場しません!

 

主人公である武藤と鏑木が大切な人を殺されていると言う経験は、物語の軸として絶対外せない部分なのに、そこないの!?とびっくり( ゚д゚)

武藤が警察を辞めた理由

さゆりが殺されたと言う事実がない以上、武藤が警察を辞めた理由にも関わってくる。

 

ドラマ→さゆりを殺した犯人の少年を怒りのあまり殴り殺そうとする。
その場にいた警官に止められて未遂ではあったが、その時自分が「本気で人を殺そうとした」と言うことに気づき、警察を辞めた。
その後私立探偵として、環の仕事を手伝う。

 

原作→機動隊員だった武藤は、任務でありながら人に暴力を振るうことを本気で楽しんでしまっていると言う自分に気づき、警察を辞めた。

その後、僧となる。

 

え?全然設定違うやん(・・?)

武藤のキャラは原作では3人いる

武藤のキャラ設定が原作とだいぶ違っている理由は、原作では環の下で働く元警察官は3人いるのに対して、それをドラマでは武藤1人に絞っているからなのだ!

【ドラマの登場人物】

武藤(玉山鉄二):警察を辞めて私立探偵。環の仕事を手伝っている。
警察を辞めた理由は、妹を殺されたから。その犯人を殺そうとしたが未遂に終わり、その後犯人は自殺。

【小説の登場人物】

環の部下が3人いる!
武藤:僧。独身。子供が誘拐される事件の(シーズン1の最終回)身代金の運搬役に指名される。
原田:私立探偵。聞き込みをするときは“ルポライター“と言う肩書きを使う。妻子持ち。娘が真梨子。
倉持:妻子を殺された過去あり。犯人に復讐しようとするが未遂に終わり、犯人に自殺されてしまう。

 

このように、ドラマの武藤と言うキャラクターは、原作の3人の環の部下たちの要素を少しずつとって合体して出来上がったキャラクターである。

 

ストーリーに直接絡んでくる、

  • 娘の真梨子の存在
  • 大切な家族を失った過去を持つ

と言う所では原田や倉持の方がドラマの武藤に近いと思うが、なぜドラマの主人公の名前が武藤になったのかが謎(・・?)

 

鏑木のキャラクター

【ドラマでの鏑木の設定】

シーズン1

武藤の元先輩刑事。
復讐衝動に駆られる武藤を抑える役割。
武藤と同じように“大切な人を殺される“と言う経験をしながらも、立ち直り強く生きているように見える。

シーズン2の主人公

刑事でありながら、大学時代の同級生の矢吹響子(木村多江)と共謀して、密かに復讐代行殺人を行っていた犯人。

「犯罪被害者の会」で響子と再会し、響子の事件を聞き「俺が代わりに殺してやろうか?」と申し出たことが始まり。

鏑木も恋人を殺されたと言う心の傷を抱えていたので響子に共感。

復讐殺人によって遺族の感情が癒えることを望み、この仕事を請け負っていた。

 

シーズン1の主人公の武藤とは対照的に、復讐の道を選んでしまった鏑木。

しかし「復讐しても地獄。しなくても地獄」と復讐によって心の傷が癒される事は無いと語っている。

 

 

この鏑木のキャラが、結構違う!

 

 

【原作での鏑木の設定】

所轄刑事。

シリーズ最終作の「殺人症候群」から登場。

倉持とは同期。武藤とは特に知り合いではなく、武藤が倉持のことを聞きに行った時に初めて知り合う。

 

そして重要なのは…

 

鏑木は、家族や恋人を殺された過去はない!

 

えーっ!そこ1番重要な要素なのに!?Σ(・□・;)

 

じゃあなぜ鏑木は復讐殺人を行っていたのか?

それは、単純に響子への恋心から。

 

 

恋心って、響子に喜んでもらいたいがために連続殺人を犯していたってこと!?( ゚Д゚)

 

 

だけど鏑木と響子の絆とか、響子の事件の悲惨さが小説では丁寧に書かれているので、それもまた納得できてしまうのだ。

 

【原作】鏑木はずっと響子のことが好きだった

ドラマでは谷原章介さんと木村多江さんの見た目があまりにもお似合いなので、

 

この二人は恋愛関係なの?

でも二人とも恋人を殺された傷が未だに忘れられずにいるんだから、そう簡単に次の恋には進めないよなぁ?

 

とちょっとそこが分かりづらい。
でも小説の方が設定がすごくわかりやすくて納得できる!

 

鏑木と響子の殺された恋人・高木は、小学校からの幼なじみ。

2人はいつもトップを争う良きライバルで親友だった。

大学で鏑木と響子が先に出逢い、鏑木は響子を好きになる。

 

すぐに高木も交えて3人で仲良くなる。

そして、鏑木と高木は恋のライバルにもなってしまう。

 

響子は高木を選び7年の交際の末、結婚が決まっていた。

しかし、デート中に襲われ、高木はリンチされ死亡。

響子はドラマでは3人の少年に襲われていたが(描写としては響子をレイプしたのは2人だと思う)

原作では「人数もしれない大勢の男達に」となっている。

鏑木はこの当時も響子と連絡を取っていたので、事件後すぐに響子の身に起こったことを知る。

 

 

つまり鏑木は大学時代からずっと響子のことが好きで、だけど親友との幸せを祝って身を引いていた。
だけど親友が死に、響子は傷つき、響子を守れるのは自分だけとなってしまった。
だから何があっても、どんな手段を使っても響子を守る!そんな鏑木の一途な想いは、ものすごく納得できるのだ。

最初の復讐殺人について

ドラマ

再会した響子が自分の事件について話し、鏑木の憎む犯人は「自殺していて、羨ましい」と言った。それに対して、鏑木が「俺が代わりに殺してやろうか?」と響子に言った。

最初の復讐殺人は響子の事件の加害少年だった。

 

原作

事件後、響子が完全に心を閉ざしてしまっているのを見て、「自分が響子を救い出す!」と心に誓った鏑木は、その方法として、理不尽な方法で殺された人の事件を調べ、その加害少年を「頼まれもしないのに」殺した。

 

最初の復讐殺人は、響子に依頼されたわけでもないのに、鏑木は独断でおこなったことだったのだ!

 

そして、それを響子に話すと、やっと響子はそれによって正気に戻ってきた。

それからは響子の喜ぶ顔が見たくて、殺人代行を請け負っている。

 

ちなみに響子を襲い響子の恋人を殺した少年たちは7年少年院に入ることになって、いまだ出てきてないので復讐できない。(まだ事件の3年後なので)

鏑木の過去のトラウマ

それにしても、いくら大好きな人の為とはいえ、殺人を犯すなんて普通では考えられませんよね?

 

実は鏑木はこれまでに1度人を殺したことがあったのだ。
とは言っても、それは完全なる職務中の正当防衛で、仕方のないことだった。

 

まだ交番勤務だった鏑木がたまたま強盗犯に遭遇し、職務質問をし追っていたところ、強盗犯が車に乗り込み、鏑木を轢き殺そうとした。

慌てて鏑木はその車のタイヤを撃ち抜いた。そのことで車が事故を起こし、犯人は死んだ。

 

もちろん正当防衛なので、鏑木は罪に問われることはなかったが、目の前で壮絶な、事故現場と血を流した死体を目撃し、「自分は人を殺した」という思いが鏑木の中には強く残った。

鏑木はとても生真面目な性格で、自分をずっと責めていた。

「1度他人の血で手を汚してしまったら、歯止めが効かなくなる」と鏑木は何度も言っているが、鏑木にとってはこの事故の時点で自分はもう罪人で、普通の人と同じ幸せな人生は送れない、とまで思い詰めている。

だから響子をもう一度”生かす”ために、また自分の手を汚すことに対して、普通の人よりもハードルが低くなっていたのだろう。

 

鏑木と響子は愛し合っていた

だから鏑木と響子はお互いに愛し合っていることにお互い気づきながらも、自分たちは決して結ばれることはないと分かっていた。
だけどお互いにお互いを本気で愛していた。

 

ドラマだとこの二人ってそういう関係?とちょっと分かりにくかった。響子の方は「一緒に逃げよう。あなたも同じ気持ちでいてくれるのなら」とそれらしき台詞は言っているが、鏑木がそれを断ったことに対して「ごめんなさい、私ひとりで勝手に…」と振られたと思っている。
これに対して鏑木は

 

「違うんだ。一度他人の血で手を汚した人間は人並みの幸せを願ってはいけない」

 

と釈明しておりこれは小説の中でも何度もあったセリフ。

 

小説の中では鏑木側からの視点でも心理描写があるし、響子側からの視点もある。

だから、本当に二人が愛し合っていたことがわかる。鏑木はもともと響子が好きだったし、響子はもともとは高木を恋人として選んだけど、事件後すごく親身になって自分に尽くして守ってくれる鏑木に対して、友情が愛情に変わっていったのは全く不自然ではなかった。

小説では鏑木が犯人だと途中までわからない

そしてこれはドラマではできない技だなぁと思ったが、小説では最初は響子と共謀している殺人の実行犯を渉と下の名前で呼んでいる。
それとは全く別の軸の話として鏑木刑事が和子の事件を追っている様子も描かれている。

 

だから途中まで、殺人犯が現職の刑事の鏑木であるということは読書には分からないのだ!

 

全体の2/3くらいまで読み進めてみて、初めて鏑木渉とフルネームが出てくるところには驚愕する!

 

私はドラマの方を先に見ていたから、「この渉が鏑木なんだよね?」とドキドキしながら読んでいたが、”鏑木渉”という名前が出てくるまでは確信が持てなかった。もしかして原作とドラマだと犯人違うのかなあ?と。
なぜならドラマの方では”鏑木護”という名前になっていたから。これは原作のネタバレをしないための配慮なのだろうか?

響子の殺され方が原作だともっとエグイ

ドラマ

市原を拉致し、牧田と共に殺そうとするが、牧田がやられ失敗。
逆に響子が市原にレイプされそうになり、過去の事件を思い出し響子は自分で舌を噛んで自殺。

鏑木が到着した時には市原は「舌噛んじゃった…」と呟いていた呆然と立ち尽くしていた。それを見て激昂した鏑木が市原の首を絞め瞬殺。

 

小説

倉持と響子が市原を拉致して殺そうとするが、倉持は市原を「そんなに簡単に死なせてやらねぇ」といたぶって殺そうとした。

鏑木が現場に到着して、「やめろ!」と声をかける。

その一瞬の隙に市原は響子を人質にとって車で逃走。鏑木と倉持は追いかけるが振り切られる。

 

市原は和子を殺した廃校になった学校に立てこもる。しかし、響子の叫び声を聞いた人の通報で警察に取り囲まれていた。

 

市原はコーラとピザを要求。鏑木はピザを届ける役割を強引に買ってあげて、校舎の中に入る。

 

すると、市原が響子に馬乗りになり、激しく腰を振っていた。

 

と言っても、この時点でもうすでに響子は死んでいるのだ。

死んでいる相手に対して、ってのもそうだけど、警察に取り囲まれている中、よくそんなことできるよなぁと、つくづく市原は気が狂ってるんじゃないかと思う。

 

 

美しかった響子の顔は黒ずんで、恐怖に歪んでいた。

ブラジャーは顎までまくりあげられ、白い乳房は露わになっていた。

下半身は下着も全て剥ぎ取られ、股間からは生々しい血が流れ出ていた。

 

響子は人生で二度もこんな酷い目に遭って、本当になんて不幸な人生だったんだろうと、胸がぎゅーっと苦しくなる。

我を忘れてその場で市原を絞め殺してしまった鏑木の気持ちも十分共感してしまう。

 

もともと、響子が恋人とのデート中に襲われたのも、ドラマではたまたま絡まれたっぽい感じだったけど、原作ではドライブ中だった二人を「隣に美しい女性を乗せているというそれだけの理由で」、少年たちの複数の車に幅寄せされ、車を降りさせられた、となっている。

 

つまり、もともと少年たちの狙いは響子をレイプすることにあったのだ。

 

市原はドナーカードを持っていた?

ドラマで、なんで和子が市原を標的として選んだのか、わからなかったんだけど、見逃したかな?

和子は病院の電子カルテでドナーカードを持った若者を選出していたはず。

 

市原のような、悪い奴がドナーカードに登録なんてしてるはずないよね??

 

小説では、運転免許センターの窓口にあるドナーカードを持ち帰った若者に和子は目をつけていたんだけど、市原は興味本位でカードを持って帰っただけで、その後ちゃんと登録したかどうかはわからなかった。

 

 

普通に考えれば、ドナー登録するような心の澄んだ人が市原のように暴力衝動があるとは思えないんだけど…。

”死んで当然の人間”という設定にするには市原は十分すぎるひどい奴だったけど、死んだところでドナーになる可能性は低そうだと思った。

 

 

ちなみにドラマでは市原は中学の時担任の教師を殺しているが、

小説では小学校の担任に「クズ」呼ばわりされて人生踏み外したが、小学生だったので何もできずに、その担任と同じくらいの年齢の和子に「代わりに殴られてよ?」と過去の恨みを代わりに晴らそうとしていた。

だから、小説での市原は和子に出会った時点では殺人は犯していなかったのだ。(引きこもりで母親に家庭内暴力をしていたのは同じ)

ラストで鏑木は死んだ?

ドラマ

ドラマの最終回のラストシーンでは、環(渡部篤郎)が武藤に鏑木を殺すように命じたが、結局武藤はできなかった。すると環が横から躊躇なく鏑木を撃ち殺した。
理由は「現職の警察官が殺人犯として逮捕されるなんて許されないから」。

つまり警察の保身のために、警察にとって良くない事実をもみ消したということ。

復讐のための殺人よりも、保身のための殺人のほうがタチ悪いじゃんかっ!!( ゚Д゚)

原作

鏑木は市原を殺したところを現行犯で逮捕される。

え?じゃあ鏑木は死なないの??
あの最終回のラストシーンが本当に切なくてやるせなくて衝撃的だったんだけど…。

ところがどっこい、ドラマの最終回と同じようなラストが原作にもあった。

ドラマの鏑木=原作の倉持?

家族を殺された過去を持つ倉持。最初に環から今回の事件の捜査の指令を受けた時に、「自分はこの捜査からは外れる」と言って断った。
それは”遺族に代わって復讐代行殺人を行っている人物がいる”という話を環から聞いた時に、瞬時に「そうか!自分のすべきことはこれだったんだ!」と犯人に共感してしまったから。

 

倉持は犯人への復讐に失敗して、さらに犯人に自殺されてしまっている為、その後の怒りの矛先、生きる意味を見失っていた。
しかし環に仕事を頼まれるようになって、その怒りの矛先を犯罪者に向けることにより自分の気持ちを鎮めていた。
(ここまではドラマ版の武藤と同じだね)

 

しかし”職業殺人者”の存在を知り、自分のやるべきことはこれだったのだという思いに至り、鏑木と響子を探し出し「仲間に入れて欲しい」と頼んでいる。

 

ドラマでは市原を拉致して殺そうとしたのは牧田(板尾創路)と響子だったが、原作では倉持と響子である。
結果、市原殺しには失敗し、その結果、響子を死なせてしまい、鏑木も逮捕されてしまったが、倉持は環の手から逃げ、その後、復讐殺人を鏑木たちの代わりに続けていた。(四人殺している)

 

しかし数ヶ月後、環が倉持を追ってきて、倉持が自首しないのならば「この場で撃ち殺す」と言って銃を向けている。
その後銃声が鳴り響いたので、普通に考えればドラマと同様、環が倉持を”消した”ということになる。

(ここでは倉持がドラマでいう鏑木のポジションになっている)

 

が、最終章では昔の職場(倉持はガテン系の現場で働いていた)の仲間が倉持の姿を街中で見かけたという描写がある。すぐに倉持の姿は見えなくなってしまい「見間違えかも?」と思われる曖昧な描写であったが、わざわざ最後に倉持が生きているかもと示唆してきたことを考えると、もしかしたらあの銃声で死んだのは、環の方だったのかもしれないと考えてしまう。

 

だとしたらドラマの最終回とはかなり違った印象のラストとなる。

 

原作での倉持のキャラクターは、ドラマの鏑木と武藤の両方のモデルとなっているのだ。

感想

ドラマでは”殺人の是非”のテーマの答えとして、

 

やはりどんな理由があっても殺人を犯した者はまともな死に方は出来ない=やむを得ない理由があっても殺人はダメ!

 

というしっかりとした答えを突きつけられたような気がした。

しかし小説では、鏑木と響子は死と逮捕という制裁を受けたが、その後も二人の意思を引き継いだ倉持という存在によって復讐殺人が終わることはなかった。
もし最後にそれを止めようとした環が返り討ちにあって死んでいたとするならば、この作者としては復讐殺人が続いていくことを肯定したという終わり方を選んだと考えられる。

 

こんなことを言っちゃいけないんだろうえkど、私もやはり倉持や響子の考え方に共感してしまうところがある。”生きていても意味がない人間どころか、生きていたらまた他に犠牲者を出すかもしれない人間を駆除することはむしろ正義だ!”という考え方。
だけどそんな凶悪犯の少年達にもやはり死んだら悲しむ親はいる。

 

それを気づかせるエピソードも、和子が担当していた小児科の患者のあやねちゃんのエピソードで語られている。ドラマでは母親の紺野まひるがあやねちゃんがわざと発作を起こすように仕向けて殺した?という疑惑があったが、このあやねちゃんのエピソードは本編とはあまり関係がないように思えた。

しかし小説ではちゃんとエピソードには意味があった。
和子は彩音ちゃんを殺した母親がどうしても許せなくて、父親もろとも殺してやろうと考えていた。しかしあやねちゃんには生まれたばかりの赤ん坊の弟がいて、母親は赤ん坊にはすごく優しい笑顔を向けていた。それを見た和子は初めて当たり前のことに気づくのだった。

どんなに憎むべき人間でもその人の事を本当に必要としている存在がいる限り、その人物を殺せば自分はただの凶悪殺人犯だ。

 

だから和子は彩音ちゃんの母親を殺せなかった。

 

そうやって少しだけ視野を広く持ってみると、片方から見たら「死んだって当然」と思えるような人間が、また違う角度から見ると「絶対に生きていて欲しい」と願う存在がいるのかもしれない。何人も手にかけた鏑木は世間から見れば「死刑確定の凶悪殺人犯」だが、響子にとっては「かけがえのない大切な人」だったように。

 

だからやはりある一方の角度でしかものが見られない一人の人間によって、人を殺すという決断をしてはいけないのだということだ。みんなに平等であるように法律がある。だけどその法律って本当にみんなに公平なの?

こういうテーマにぶち当たった時にいつもデスノートで最後の月(藤原竜也)のお父さんの言葉を思い出す。

「法律は完璧じゃない。完璧じゃない人間が作ったのだから完璧じゃなくて当たり前なんだ。だけどその時代の人たちが正しくあろうと考えた結果だ」と。

だから今の少年法は響子にとって非情なものだったかもしれない。だけどこういった問題提起を投げかける小説などの作品が世に出て、それを見た皆がいろいろと考えることで、法律もどんどんいい方に変わっていって欲しいと願う。

 

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