誉田哲也さんの「ストロベリーナイト」姫川玲子シリーズの小説「ソウルケイジ」。
このタイトルの意味を個人的に考察、解説してみました。
※ストーリーのネタバレを含みますので、ご注意ください!
目次
「ソウルケイジ」のテーマは”父性”
とりあえずWikiに載っている情報はこちら。
スティングの楽曲「The Soul Cages」からインスパイアされている。そのため本作では著者なりの解釈による「父性」が主題となっており、劇中では事件の当事者と自分の事を大切に思う父親の想いを知った姫川、そして、本作では事実上の準主役であり一人息子を想う日下の心情と登場人物それぞれに「父性」と関わる場面に焦点が当てられている。
引用:ウィキペディア
原作者がこの楽曲に”父性”というテーマを見い出し、今回のストーリーになったのはわかったけど、「ソウルケイジ」という言葉に直接”父”という言葉は関係ないですよね。
「ソウルケイジ」のタイトルの意味は二つ
- Soul Cage→魂の檻(直訳)
- Soul 刑事→デカ魂
直訳したら「ソウル」が魂、「ケージ」はワンちゃんとかを入れておくケージのこと。「檻」とか「かご」という意味ですね。
「捕虜収容所」という意味もあったりして、けっこうヘビーなイメージも持てます。
あとは当然刑事ものの小説ですから「ケイジ」は「刑事」とかかっているのでしょう。
では、ひとつひとつの解釈を考えてみました。
Soul Cage→魂の檻(直訳)の意味の解釈
「魂の檻」の意味は、
檻の中に閉じ込められて身動きが取れなくなってしまった魂
の意味だと思います。
ソウルケイジのストーリーに出てくる登場人物たちは、 みんな貧困のためにがんじがらめになって自分の人生をどうすることもできなくなっている。
- 高岡賢一 → 過去に自分が起こした事故のせいでお金が必要。そのために他人になりすますという罪を犯し、それを手伝ってもらった戸部の言いなりになって生きるしかなくなってしまった。
- 三島耕介の父、中川美智子の父→借金でにっちもさっちもいかなくなって、自殺するしかなかった。
- 中川美智子→お金のために戸部に自らの身体を差し出すしかなかった。
ここに出てきた登場人物たちはみんな貧しくて、自分の力でそれを解決することができなかった。
だから自由を奪われ、戸部という最低の男の言われるがままになっていた。
まるで檻に閉じ込められて身動きができなくなっているみたいに。
だけどそんな中でも最後まで
- 高岡は大切な息子(雄太と耕介)を守るという信念を曲げなかった。
- 美智子は美容師になるという夢をあきらめないために、戸部の言いなりになることを受け入れた。
そういう意味では
檻に閉じ込められ自由を奪われてもなお、強い魂を捨てずに持ち続けていた
ということにもなる。
結論!
ソウルケイジ=「魂の檻」の意味は…
魂が檻の中に閉じ込められて身動きが取れなくなっている苦悩
から始まって
檻の中に閉じ込められても、決して捨てない強い魂
という登場人物たちの強い意志を描いたストーリーであったとも言える。
ソウルケイジ=デカ魂の意味の解釈
この物語では姫川(竹内結子/二階堂ふみ)班と日下(遠藤憲一/神保悟志)班の合同捜査となっているため、姫川玲子といつも敵対している日下刑事が事実上のもう一人の主人公となっている。
そもそも姫川が日下と対立しているのは、二人の捜査方針が全く正反対であるため。
- 姫川→勘を頼りに仮説を立て、とりあえず突き進んで、「結果オーライなら文句はないでしょ!」というスタイル
- 日下→とにか消去法、理詰め派。「一切の予断(証拠のない仮説)は許さない!」がモットー。
この全く正反対の捜査方法をとる二人の刑事が、今回の事件では同じ一つの真実に向かって吸い寄せられていく。
結論!
どちらも自分の捜査方針を曲げることなく突き通し、それでも結果二人は同じ真実にたどり着いた。
二人とも自分の考える「これが刑事だ!」という姿には自信と誇りを持ち仕事をしている。
これぞデカ魂!
この作品では、二人のタイプに違った刑事の在り方を、どちらを肯定するでも否定するでもなく両方の”デカ魂”を尊重しながら描いている。
作中には日下が今のような捜査スタイルになった過去のトラウマ的なものが解説されている。 それを知って姫川も今まで嫌っていた日下の捜査スタイルを少しは理解したようだ。(日下のほうは、元々姫川の実力を買っている)
また日下の父親としての人間的な部分を見たことで、姫川の日下に対する嫌悪感が少しだけ和らいだようなラストにもなっている。
「ソウルケイジ」はスピリチュアル的な要素を盛り込んでいる
あとは、やはりタイトルに「ソウル」とつけたからには、スピリチュアル的な要素を入れたいという作者の意図を感じました。
小説では冒頭のシーンで菊田と姫川が二人でお茶しているんですが、そこで姫川が死んだ部下の大塚の夢を見たという話をします。
姫川「大塚が笑いながら手を振っているという夢」
菊田は大塚の死に責任を感じている姫川を励ますために
菊田「それは大塚が、”主任が悪いんじゃないんだから気にしないでね”って言ってるんじゃないですか」
姫川「菊田ってそういうスピリチュアル的なことを言う人だったっけ?」
というような会話があります。
この二人の会話が今回の事件に直接関係しているということはないのですが、わざわざ冒頭にこういう二人の会話を入れてきたというところに作者の「今回は”魂の話”を書きますよ~!」という意思が感じ取れます。
ま、姫川玲子シリーズはシリーズものなので、必ず他作品との繋がりや時系列がわかるような回想が入ってくるので、「この話は大塚が死んでから間もない事件なんですよ」ということが分かるようにするためだけに入れた会話かもしれないですが。
でもこの物語で一貫してテーマになっている
たとえ遠くにいて会えなくなっても、大切な人を守るための強い魂
(高岡健一は息子のために自分が死んだことにして、それから一度も息子にも姉にも会えない人生を歩んできた、最後は本当に死んでしまって大切な息子や耕介に会えなくなってしまった)
というものが描かれています。
竹内版ドラマ「ストロベリーナイト」の最終回で、高岡賢一(石黒賢)の左手が息子の雄太の頬を撫でたシーンの意味は?
竹内版ドラマの最終回で、高岡賢一(石黒賢)が自分の左手首を切断したシーンの後で、高岡の本当の息子の雄太の病室で、雄太の頬を撫でる左手のシーンがありましたよね。
これ結構意味がわからなかった人も多いと思います。
高岡が左手を切断する前に、最後に息子に一目会うためこっそり病院を訪れたの?と解釈した人もいるようですが、違うと思います。
あれは高岡が左手を切断した後のことで、もう自分の体から切り離された左手だけが魂となって息子の所に飛んで行った、という意味だと思います。
ちなみに息子の頬を撫でると言う行動は、「ソウルケイジ」のドラマでも小説でも冒頭のシーンで三島耕介の父親が自殺する直前に語っている内容とリンクさせています。
耕介の父親は借金でその日食べるものもないくらいに貧しくて、お腹を空かせた耕介が意識が朦朧として、つい畳をむしって口に持って行ってしまったのを見て激怒するんですね。
自分の子供にそこまでひもじい思いをさせている自分の不甲斐なさに腹が立って、「俺がそんなにひもじい思いさせてるって言いたいのかよっ!?」と、その怒りが子供に行ってしまう…と言う典型的な虐待親なんですが、
「顔だけは殴れない。顔を殴ればアザができて誰かが虐待だって気づいてくれる。だけどどうしても殴れない。子供のほっぺたって本当に柔らかいんですよ」
と語っているんです。
どうしようもない父親だったけど、やっぱり子供に対してはちゃんと愛があることがわかるセリフです。
子供の頬を撫でる=父の愛
という表現だったんでしょうね。
ちなみに私はドラマ→小説の順番で見て、このシーンはドラマオリジナルだったことに衝撃を受けました…!!
ここの演出本当にすごくいいなと思ったので、当然原作にあるエピソードだと思ってたんですよね。
他にも竹内版「ソウルケイジ」のドラマ版はすごくオリジナル演出が効いていて、原作超えたかも…と思わせる出来となっています。